2026/04/16
For Rational Architecture
木村 雅一 さん
1984年に大学院を卒業して早42年、日建設計では約150プロジェクトに参画し約50棟が竣工しました、延床面積は約400万㎡になります。 (現在工事中含め・・・)
その中でもやはり芝浦工業大学豊洲キャンパスのⅠ期の設計監理は非常に思い出深いものです。丁度、部長に昇格して初めてのプロポーザルが豊洲キャンパスでした、案を選ぶプロポーザルでは無かったのですが、競合相手も丁度同じ世代の同級生の顔が浮かびました、また理事長は恩師の石川先生でしたし、結構なプレッシャーでした。
幸か不幸か当選後、当初から旧田町キャンパスで経験できなかったCampus Lifeをテーマに設計を進めました。限りある敷地でUrban Campusとして、機能を縦積みせざるを得ないのですが、その中心に図書館を設け、そこに至る動線を出来るだけ楽しく立体的に体験でき、また教職員や学生同士が顔を合わせやすい計画としました。
ほぼすべての建築の構成はRationalであるべきという信念を持っていますので、構造とSystemは100年経っても持ちこたえるだけのインフラとしたいと、免震構造やSkelton& Infillを意識した設備計画、またほとんどの床はOAフロアとし、教室と廊下(という概念)の境をなくしました。
実験内容の変化の激しい研究棟はメンテや更新が容易で高速道路等に使う汎用な材料で外付けの縦シャフトを採用。誰言うとなく研究棟は凱旋門と呼ばれていますが、伊達や酔狂で大穴を開けたわけではなく、風環境が非常に厳しいこの湾岸エリアでこのVolumeの棟を作るとキャンパスプロムナードが年中、強風になってしまい使い物にならない状況となります。そこで風のシミュレーションにより大きな風穴を設け、上空で風を抜いて強風が下がって来ない工夫(ブリッジがその役目をしています)をしました。
大概のことは対応可能と思い、設計・入札・着工したのですが・・・なんと着工後すぐに1~4年までが豊洲キャンパスだったはずが、1~2年は大宮キャンパスに残るという結論になり、中のLayoutはほとんどやり直し、幸い鉄骨のスリーブは空けられるだけ開け、床もほとんど下げ、相当Flexibleな設計にしていたので何とかなりましたが、大手術の繰り返しではありました。
竣工後、東北の大震災の際も8階にある図書館の本は一冊も落下しなかったと館長に褒められましたし、6階の大講義室で学会をやっていたらしいのですが、地震だとは分かったようですが、普通に終わって外に出たら殆どのInfraが止まっていて免震の性能をいたく感心されていました。以降も未だに大きなトラブルは無いようで、Ⅱ期の本部棟に引き継ぐことが出来ました。本当は自分の手で本部棟もやりたかったのですが、既に中東やロシアの設計担当役員として世界中を飛び回っていたのでとても叶いませんでした。
しかし、あの時こうしていれば・・・との後悔もあります。元々Wウイング形状のマスタープランを考えていましたが、北西側(今の教室・交流棟)は日影規制が厳しく高さが制限されています。当時は隣接の計画も未確定で何もなく、当初私は北東側を高くしてⅠ期にするように提案したのですが、Ⅱ期なんていつになるかわからないし、キャンパスプロムナードに大きな影を落とす計画なんてあり得ないと理事長に一喝されました。(それもRationalだなとその時は思いましたが)
今思うとあの時北東側から建設していれば、隣接の住宅(隣の豊洲The Symbolも私の設計なのですが・・・)からの強烈な反対も起こらず、もっとFlexibleな配置計画が出来て居たろうなと、後悔とⅡ期の設計者(元の私の部下)に申し訳ない気持ちです。将来を見据えたRationalな配置計画が出来なかったという事になります。(信念が足りなかったということですね!)
そろそろ日建設計も卒業して、次のStageに移ろうかと考えています、For Rational Architectureを今後も追及していきたいと考えています。
