2025/08/05
アイデンティティ
小野真徳 さん
2015.3 工学部建築工学科卒業(西沢研究室)
2017.3 理工学研究科 建設工学専攻修了(赤堀研究室)
2017.4 鹿島建設株式会社 建築設計本部
2020.5 株式会社小野電機製作所
先日仕事で豊洲に訪れる機会があり、「受験したあの日も工事中だったな」と想起しつつ、バルセロナの教会如く未だ完成しない駅を抜けると、都市湾岸部特有の生ぬるい潮風が肌にまとわり、まるで故郷に帰ったかのような感覚を覚えました。
大学院の時代も合わせて合計4年間、整然とグリッド化された街区を最短ルートで通学しながら、数少ない友人たちと同じ屋根の下で寝食を共にした記憶と経験は、間違いなく今の私の血肉となり、DNAの奥底に刻まれています。
ちなみに建築研究会というサークルに所属し、大宮キャンパスで過ごした2年間も大変色濃い思い出なのですが、残念ながら今回は割愛することとします。
私は、品川の戸越銀座という街の小さな町工場で生まれました。小さい頃から油の匂いと機械の音が嫌いで、家業を継ぐことはないと心に決めていました。しかしながら心のどこかでモノづくりに惹かれていたようで、建築を学ぶ道を選びました。学部時代は、八束先生・西沢先生から都市論と建築論を同時に学ぶことができ、大変幸運な学生だったと思います。私の同期は意匠設計志望の学生が多く、成績が悪かった私は、半ば自暴自棄になりながら第二希望の研究室に進学することとなります。結果的にこの運命は私にとって素晴らしい選択だったと感じています。
大学院時代に指導いただいた赤堀先生はとても寡黙でした。エスキスではつかみどころがない先生を説得させるべく、ついつい多弁になってしまい、「小野君はよくしゃべるなあ」とニコッとした笑顔で揶揄されたことを覚えています。そんな飄々と立ち振る舞う先生でしたが、ある時「自分を安売りするな」という言葉を鋭くお話しされました。どんなときも設計者としての存在価値(アイデンティティ)を大事にしなさい、という意味だと理解しています。普段あまり否定を強めて断言をされないイメージがあったので、あの時の情景は今でも私の脳裏に刻まれています。
大学院終了後、ゼネコン設計部で超高層ビルの担当となり、右も左もわからぬまま現場に投入され、朝から晩まで施工図と睨みあう毎日。蓄積された疲労は深夜のラーメンとアルコールによって浄化され、体重に比例する形で設計者としての素養が磨かれていったと思います。家に帰ると家族全員寝静まっており、嫌いだった油の匂いと機械の音はどこか遠い世界にいってしまったようでした。
30歳になる手前に、ふと「私は何のために生まれてきたのか」を思量することになります。きっかけは覚えていませんが、病んでいたわけでも何かに影響されたわけでもなく、ただの直観でした。満員電車に揺れながら、私は何者で私を構成しているものはなんなのだろうと考え、「意匠設計者としての経験値」と同じ高さに「家業の後継者」という要素が浮かんでいました。次第に、世の中に私しかできない役割があるならば挑戦してみたいと思う気持ちが大きくなり、気付いた時には父親に継ぐ意思を伝えていました。
今では設計者ではなく経営者として、父と、そして23名の従業員と一緒に宇宙分野で使用する研究用ロボットを開発しています。いつの間にか嫌いだった油の匂いと機械の音は、私の日常に溶け込んでいました。
「自分を安売りするな」
赤堀先生が逝去される1年前に、この言葉の本当の意味を知りたくなり、先生にメールをしたことがあります。
建築から離れ、家業を継いだと伝えたところ、ぜひ工場を見たいと返信があったのが私と先生の最期でした。工場を案内できなかったことを後悔していますが、きっと先生はニコっと笑いながら言葉の意味を教えてくれないでしょう。これから何年もかけて私自身が成長し、気付く必要があると思っています。


